· 

キリスト教映画「足枷を解いて走れ」抜粋シーン(3)聖書の先へ:主と共に神の国の宴に集いなさい

キリスト教映画「足枷を解いて走れ」抜粋シーン(3)聖書の先へ:主と共に神の国の宴に集いなさい

主を信仰する多くの人はこう考えています。神の御言葉と御働きはすべて聖書に書かれていて、聖書に書かれている神の救いは、それがすべてである、と。そして、神への信仰は聖書に基づいたものであるべきであり、信仰が聖書に基づいたものであれば、私たちは必ず神の国に招き入れられる、と。 こうした宗教的な概念は、私たちの心を縛り抑制する見えない縄のように作用し、そのため聖霊の御働きを探し求めることもせず、今行われている神様の御働きに服することができなくなります。それではどうやって、聖書と神様、あるいは聖書と神様の御働きとのつながりを理解することができるのでしょうか?「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。 」(ヨハネによる福音書5:39-40)全能神が言われます。「終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。この真理を通して人はいのちを得ることができ、この真理を通してのみ、人が神を知り神に良しと認めてもらうことができる。」(『言葉は肉において現れる』より)神の御前に立ち、主の救いを受け、主と共に神の国の宴に集うためには、聖書から離れるよりほかにありません。