· 

放蕩の子の帰還

私は中国南部の小さな町で生まれ、家族は曾祖母の時代からの信者でした。幸せだった子供時代、私のそばにはいつも聖書の物語や、教会で演奏される賛美歌と聖歌がありました。年齢を重ねて勉強のプレッシャーが大きくなると、私の心は徐々に主から離れだしましたが、主は決して私のもとをお離れになりませんでした。私が呼び求めるたび、必ず私を助けてくださったのです。私の心には主イエスのお恵みと聖なる御名が深く根づいていました。大学入試を受けた年、私が一流大学に合格できるはずはないと、教師を含めた誰もが考えていたことを思い出します。打撃に次ぐ打撃を受け、私はすべての望みを捨てそうになり、志望校に合格するなんて絶対無理だと自分でも思いました。しかしそのとき、心の中であることがひらめきました。小さいころに教会で聞いた「人が終わるところ、神が始まる」という言葉です。そしてその瞬間、自分が啓かれたように感じました。それが正しいことはわかっていました。私が限界に達したところが、神が始まるところなのです。主のお力は絶対にもっと大きく、私が心から主にすがる限り、主はきっと私を助けてくださるはずだと信じました。私はこうしてよく次のように祈り始めました。

 

「ああ主よ、どうか私をお助けください。夢の大学に難なく合格できれば、私はいまから決してあなたのもとを離れず、あなたを生涯で唯一の救い主として受け入れることをお約束いたします」

 

そのように祈りながらも、私は大半の人には思いもよらない代価を払っていました。高校3年生になってからずっと、食事や睡眠の時間を除いてピアノの練習をしていたのです。1日10時間から12時間も練習していました。どこからそんな力が湧き上がって自分を支えていたのかはわかりませんが、主が私の祈りを聞き入れ、静かに助けてくださっているに違いないと思い、心の中で主への感謝が膨らみました。そしてついに、私が長らく望んでいたことが実現しました。国内最高の音楽院の1つに合格したのです。その結果、主イエスこそ私の唯一の救い主でいらっしゃると固く信じるようになりました。その後大学4年生になり、私は卒業後にどの道を進めばよいかわからないでいました。そこで神を呼び求め、私に道を示し、それを開いてくださいとお願いしました。2004年、アメリカで9・11同時多発テロが発生した直後、すべての入国ビザが事実上凍結されましたが、驚いたことに、自分がプロとして制作したCDのおかげで、全額支給の奨学金を得てアメリカのある大学に進めることになったのです。何の苦労もなく学生ビザを取得した私は、学業を続けるべくアメリカに旅立ちました。これら2つの経験、つまり大学に合格したことと海外へ赴いたことは、自分の力では決して実現できなかった夢が、主のお助けによって叶ったことを私に示しました。主イエスこそ真の神にして私の救い主でいらっしゃり、自分は主への信仰を正しく実践して主に従わなければならないと、私はますます固く信じるようになりました。

 

 

2007年のある日、私はいつものように、中国の母に電話をかけておしゃべりしました。その通話の途中、母が「主イエス・キリストがすでに戻られたことを、あなた知ってた?」と口にしました。母がそう言うのを聞いて、私は突然嬉しい喜びを感じましたが、終わりの日に偽キリストが現われると聖書に記されていることをすぐに思い出し、主の再臨にまつわるその話が本当か嘘か決めかねました。注意深くそれに取り組まなければならないことはわかっていました。現在、インターネットはとても高速で便利になっており、そこで私はネット上でそれを調べるべきだと思いました。電話を終えたあと、信頼できる情報源を見つけるべく、空中を歩いているかのような気分でネットに接続します。すると驚いたことに、ネット上で見つけたのはどれも、主イエスの再臨である全能神を冒涜して断罪する抗議の声ばかりでした。私は本当か嘘か判断できずに恐怖と不安を覚え、母が正邪を見分けられず誤った道を歩んでしまうのではないかと心配になりました。そこですぐに電話をかけ、ネット上で読んだ悪評を残らず母に伝えましたが、母はとても落ち着いていて、こう言って私を慰めました。

 

「ねえ、あなたは全能神の御言葉を読んだことがないから理解していないし、説明するには長い時間がかかるけど、心配しないでね。私は誤った道を歩んでいるのではないのだから。実際には小羊の足跡に従っているのよ。このことを電話で話すのはもうやめにしましょう」

 

中国は無神論の独裁政権によって支配されており、中国共産党政府が絶えずクリスチャンを迫害、逮捕していることは知っていたので、信仰に関することを電話で話し合うのは母にとって不都合だったのです。私はその件についてあまり多くを言う気になれず、よく知っている中国の牧師に電話をかけて助けを求め、母を「救って」くださいとお願いしました。その後、母を信徒の中に取り戻すことができなかったと牧師から伝えられた私は、怒りのあまり正気を失いそうになりました。それからというもの、私は全能神に対する母の信仰を妨げようと、私か全能神への信仰かどちらかを選んでとさえ言いました。そう告げたあと、3日立て続けに同じ夢を見ましたが、それは暗い夜のもっとも闇に包まれた時間、雨が降りしきる中、自分が黒い傘を差しながら、昔から知っている海岸を歩いているというものでした。周囲に人影はなく、昼間のように明るい稲妻が突然私の傘を直撃するのです……その夢を見るたび、私は恐怖で目を覚まし、全身が冷や汗にまみれましたが、自分の鈍感さと無知と頑固さのせいで、探し求めて祈り、この夢を見続ける理由を突き止めようとこれっぽっちも努力しませんでした。主は私に警告し、神に抵抗する道から引き返して、代わりに神に立ち返るよう告げていらっしゃるのでしょうか。その後、母を説得しようといくら試みても、まったく無駄だとわかりました。そのうえ、私は遠く離れた異国の地で忙しい日々を送っていたので、母に無理強いするのをやめました。

 

2010年、私が中国に帰ったところ、母が全能神への信仰をもちだしてきました。ちょうど私が考えていたことをわかっているようで、出し抜けにこう尋ねたのです。

 

「私が数年前から全能神を信じていることは、あなたも知ってるわね。だとしたら、ネット上で言われているように、私にどこか変なところがあるように見える?」

 

私は答えに窮し、すぐに返事ができませんでした。よくよく考えると、私を恐怖で震わせたネット上で言われていることが、母の身に起きていないことに気づきました。まったく正常で、傷一つなく私の目の前に立っています。それどころか、母は全能神への信仰を得てからというもの、主イエスを信じ始めたあとよりも大きな変化を遂げたことが見て取れます。言動がより理性的になっただけでなく、物事への取り組みについてもより大きな理解を得ていたのです。そのすべてを目の当たりにして、ネット上の噂は本当ではないようだと思いました。事実は言葉より雄弁だからです。すると母が言いました。

 

「どうして母親を信じないの? 事実に目を向けず、ネット上の噂を信じるのはどうしてなの? それについて調べ、証拠を集めた?」

 

私は恥ずかしくなって、「いいえ」と答えました。母は続けました。

 

「それがすべて根も葉もない話だと、あなたは調べて突き止めることもせず、ネット上で耳にした噂を信じて結論に飛びついた。恥を知りなさい。こんなに立派な教育を受けたのに、理知がまったくないなんて。4つの福音書にじっくり目を通しなさい。そうすれば主が働きをなさっていたとき、ユダヤの祭司や律法学者やパリサイ人がありとあらゆる噂をでっち上げ、偽りの証しをしていたことがわかるから。その人たちは、主イエスは罪人と仲がいいとか、食べ物と酒に夢中だなどと言ったうえ、人々をたきつけて皇帝への納税をやめさせようとしたと濡れ衣を着せた。兵士に賄賂を贈って偽りの証しをさせ、主イエスの遺体は弟子たちによって盗まれ、復活することはないとまで言わせたのよ。あなたももちろんそのことは知ってるわね? 4つの福音書に記されていることは、主イエスがなさった働きのほんの一部に過ぎないし、ユダヤの指導者たちが主イエスについて広めた数多くの噂話の記録も含まれているのよ。それについて考えたことはある? 当時インターネットが存在していたら、ユダヤの祭司や律法学者やパリサイ人はきっと噂や偽りの証しをネット上で広め、主イエスを誹謗し、冒涜し、罠にはめて断罪する言葉をネット中に拡散したはずよ。今日の宗教界が全能神を断罪しているようにね。これが何を意味するか、あなたわかってる? 主イエスはこうおっしゃったわ。

 

『この時代は邪悪な時代である。』(ルカによる福音書11:29)

 

『そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。』(ヨハネによる福音書3:19-20)

 

全能神もこうおっしゃった。

 

『人はサタンに堕落させられた後、神を畏れる心を失い、被造物として持つべき機能を失って、神に背く敵になった。人はみなサタンの権威の下に生きるようになり、サタンの命令に従った。…』(『言葉は肉において現れる』の「神と人は共に安息に入る」より)

 

『神の天地創造は何千年も前にさかのぼり、神は計り知れないほどの量の働きを行うために地上に来て、人間世界の拒絶や中傷を十分経験した。誰も神の到着を歓迎しない。すべての人は神を冷たい視線を投げやるだけである。この数千年に値する苦難の過程で、人の行動はかなり前から神の心を打ち砕いていた。』(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(4)」より)

 

堕落した人類が神に抵抗し、神を敵として扱うことの本性と実質、そして人類がサタンによって深く堕落させられ、すべての人が神の敵になり、真理を愛する人、神の到来をお迎えする人がいなくなったことを、神の御言葉はとてもはっきり明らかにしているわ。主イエスがユダヤの地で働きをなさり、真理を表わしていらっしゃったとき、主がなさる数多くの奇跡を見て、多くの大衆が引きつけられて主に従った。そのためユダヤの指導者たちは、大衆がみな主イエスに従って自分たちを見捨てることを恐れた。そこで主イエスにまつわる噂をでっち上げ、偽りの証しをすることで、狂ったように主に抵抗し、主を断罪し、最後は十字架にかけたのよ。これは、堕落した人類が真理を憎み、神を敵と見なすことの揺るぎない証拠なの。今日、神は再び肉となられ、またしても堕落した人類による狂ったような抵抗と断罪に見舞われている。中国共産党政府は、人々がみな全能神に従ってその邪悪な本質を識別するようになり、自分たちが人々に拒まれ、権力の座を失うことを恐れているわ。宗教界の指導者も、信者が全能神に従い、地位と生計の糧を失うことを恐れている。そこで当時のローマ政権やユダヤの指導者たちと同じく、下劣で邪悪な戦術を使い、全能神教会についてありとあらゆる噂をでっち上げ、偽りの証しを数多くして、それによって全能神を誹謗、断罪し、全能神教会の信用を貶めているの。彼らの目標は人々を立ち上がらせ、全能神の御言葉と働きを断罪して拒むようにさせること、そして人が主の救いを受けるのを妨げることよ。私たちはサタンの策略を見抜けなければならないの。中国共産党政府は無神論のサタン的政権で、いつも神の敵だった。最初に権力の座についたとき、共産党政府は聖書を焼き払い、教会を破壊し、クリスチャンを虐殺したうえ、全世界で認められている聖書という書物を邪教の書に定め、プロテスタントとカトリック教徒を邪教の一員と認定することで、彼らを圧迫、迫害した。想像し得る限りの悪行を重ねたのだから、ありとあらゆる噂をでっち上げるのも無理はない。この事実は、中国共産党政府と宗教界の指導者がいずれも、真理を憎んで神に敵対するサタン的な悪魔だということを示しているわ。私たちはこれをはっきり理解しなければならない。私たちは信仰の人だから、神の御言葉を信じ、真理を信じなければならないのよ。中国共産党や宗教界の指導者による噂や嘘を信じることは絶対にできない。中国共産党政府と宗教界が広める噂を識別できず、全能神の御言葉と働きを求めて調べなければ、最後はユダヤの一般大衆と同じように、耳にした噂を信じ込んだせいでキリストを捨て、真の道を拒んでしまうわ。そうなれば神の救いを失うだけでなく、最後は神に抵抗したために神の義なる懲罰を受けるに違いないのよ」

 

母の言うことに耳を傾けていると、夢から目覚めるような気がしてこう振り返らざるを得ませんでした。

 

「お母さんの言うとおりだわ。全能神の御言葉を読むことも、調べることもせず、ネット上に流れている否定的な言説を無闇に信じたのはなぜかしら。この世はサタンに堕落させられるあまり、嘘と欺瞞で満ちている。至るところに裏切りがあって、用心することもできない。私はネット上の情報を一切調べて確認せず、ただ鵜呑みにしていた。他人が言うことをオウム返しに繰り返して、自分勝手な結論を引き出した。それはとてつもなく軽率で無知なことじゃないかしら。悪人とともに歩んで自分勝手な判断を下したんじゃないかしら」

 

私が何も言わないのを見て、母は『言葉は肉において現れる』という本を私に手渡し、穏やかにこう言いました。

 

「この本には終わりの日に全能神が語られた御言葉が記されているわ。自分の観念を脇にのけて、これをじっくり読んでちょうだい。質問があれば訊いて。一緒に交わりましょう」

 

私は本を受け取り無言で読み始めましたが、真理を求める態度で読んでいたわけではありませんでした。むしろ研究者の心持ちで、神の御言葉を自分の個人的な知識に照らして評価し、確かめ、それに反論しようとさえしたのです。読んでも読んでも全能神の働きがわからないほど、私が聖霊の啓きと照らしを得られなかったのは、まさに神の御言葉に対する不適切で意固地な態度のせいでした。しかしそうであっても、私は自分の誤った観念に固執し続け、神の新しい働きを受け入れようとは思わなかったのです。私はこのことについて母と話し合いました。

 

「お母さん、私は以前、ネット上で耳にした噂を全部信じて、お母さんが全能神を信じるのを邪魔しようとした。でも実は、盲目で無知なのは私のほうだったのね。これからは全能神を信じることに反対しないけど、私が全能神の御名においてお母さんと一緒に祈ることはできない。だって、私は主イエスの御名をお呼びすることで、夢見た学校に入れたんだし、全額支給の奨学金を受け取って外国でさらに勉強できたんだもの。私はこんなに素晴らしいお恵みを受けたんだから、どうして主イエスを捨てられるっていうの? それは感謝を忘れた不実なことじゃないかしら」

 

すると母は、私のこの観念に向けられた全能神の御言葉の一節を読ませました。

 

「ヤーウェの働きからイエスの働きまで、イエスの働きからこの現在の段階の働きまで、これら三段階は神の経営の全幅を覆うもので、そしてすべてひとつの霊による働きである。神が世界を創造した時から、神は常に人類を経営して来た。神は初めであり終わりであり、最初であり最後であり、時代を始められる存在で、また時代を終わらせられる存在である。違った時代、違った場所における三段階の働きは確かにひとつの霊によって行なわれる。これら三段階を切り離す者たちはすべて神に反抗している。今、第一段階から今日に至るまでのすべての働きはひとつの神の働きであり、ひとつの霊の働きであり、それに関して疑いの余地はないということを理解しなければならない。」(『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン(3)」より)

 

そして次のように教えを説きました。

 

「全能神の御名を受け入れるのは主イエスを裏切ることだとあなたは考えているけれど、それはあなたの観念と想像でしかないわ。実際のところ、ヤーウェ神と主イエスと全能神はみな1つの神でいらっしゃるのよ。律法の時代、神はヤーウェの御名で呼ばれ、律法を発して地上における人類の生活を導かれるとともに、ご自身の律法と掟に人を従わせることで、人類を律して導かれた。律法の時代が終わりに近づくと、人類はもはや律法に従えないほどサタンによって堕落させられ、すべての人が律法による断罪と呪いの下で暮らしていた。神はイエスの御名を名乗って肉となられ、恵みの時代の働きをなさるとともに、人類を贖うため、人のために永遠の罪の捧げ物として十字架にかけられた。そのとき以来、私たちは神の御前に出て、罪を告白して悔い改める限り罪を赦され、律法によって断罪されることも呪われることもなくなったわ。そのうえ、私たちは主の限りない祝福とご慈悲も受けている。だけど、私たちは罪を赦され、主イエスの豊富なお恵みを享受することができるけど、私たちの罪深い本性と堕落した性質は一掃されていない。いまも罪を犯しては告白する悪循環の中で生き、自由になることができない。終わりの日、神は全能神として再び受肉され、人を裁いて清める真理を表わされている。それによって、人は神の裁きを通じて真理を理解し、それを得て、自分の堕落したサタン的性質を捨て去り、神に完全に清めていただき、真に人間らしく生きることができる。このようにして、人は最後に神のお約束を受け継き、神の国に入れていただくのにふさわしくなれるのよ。だから、主イエスと全能神はいずれも異なる時代における神の受肉であり、1つの神でいらっしゃるの」

 

母の説教には理知があり、反論することは不可能でしたが、私の観念はまだいくつもあったので、即座にこう言い返しました。

 

「全能神が再臨された主イエスでいらっしゃるなら、イエスの御名でお呼びしようが、全能神の御名でお呼びしようが同じはずよ。どちらにしても、恵みを授ける神でいらっしゃるんだから」

 

すると母はこう答えました。

 

「ヤーウェ神と主イエスと全能神が1つの神でいらっしゃるのは、疑問の余地なく本当のことよ。だけど、神は各時代で異なる御名を名乗られるの。だから、私たちは神の新しい御名を受け入れないと救いを受けられないの。律法の時代、神がヤーウェの御名をお使いになって働きをなさり、人がヤーウェの御名において祈り、そして神がそれを聞き入れ、人を祝福なさったようにね。それから恵みの時代になると、神が主イエスの御名をお使いになって働きをなさったので、人はイエスの御名において祈らなければならなくなった。さもないと罪を赦されず、主のお恵みと祝福を得られなかった。それはまさに、神殿でヤーウェ神を大声で呼び求めたイスラエル人が、主イエスの御名を受け入れなかったせいで神の臨在を得られず、主イエスの救いも受けられなかったのと同じこと。いまは神の国の時代で、神は全能神の御名をお使いになって新たな働きをなさっているわ。全能神の御名において祈らないと、聖霊の働きを受けて神の救いを得ることはできない。イエスの御名にしがみついて全能神の御名を受け入れなければ、実際には神の過去の働きを信じ、現在の働きに抵抗していることになるけれど、それは本質的に神に抵抗して裏切ることなのよ。聖書には『すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。』(ヨハネの黙示録3:1)と記されている。神の新たな御名を受け入れ、現在の御言葉と働きに従うことでのみ、私たちは神を信じる現実を得られるの。私の言うことが理解できる?」

 

母の言葉はどれも理にかなっており、同時に現実的だと思いましたが、心の中ではまだイエスの御名を捨てることができませんでした。主は私にかくも素晴らしいお恵みを授けられたからです。私がいまもっているものはすべて主イエスから与えられたものであり、イエスの御名を捨ててしまえば、主への信仰を正しく実践して主に従うという、自分の当初の誓いを守ることができません。結果として、私は全能神の福音を拒み続けました。