全能神教会御言葉朗読「神の現れによる新時代の到来」

 

全能神教会御言葉朗読「神の現れによる新時代の到来」

 

全能神言われた。6千年間にわたる神の経営(救いの)計画が終わりを告げようとしている。そして、御国の門は神の現れを求める人々にすでに開かれている。兄弟姉妹たちよ、何を待ち望んでいるのか。あなたがたが探し求めているものは何か。神の現れを待ち望んでいるのか。神の足跡を探し求めているのか。ああ、神の現れがどれほど慕わしいものか。だが、神の足跡を見出すことがいかに難しいことか。今のような時代に、このような世界で、神の現れる日をこの目で見るために何をしなくてはならないのだろうか。神の足跡をたどるには何をしなければならないのだろうか。神の現れを求める人であれば、だれでもそのような疑問を持つものである。あなたがたもそのような疑問を抱いたのは一度や二度ではないと思うが、その結果はどうだったか。神はどこに現れるのか。神の足跡はどこで見つかるのか。そうした疑問に対する答えは見つかっただろうか。そうした問いに対して、次のように答える人が多い。神はご自分に聞き従う人々に現れ、神の足跡は私たちのただ中にある。そんなに難しいことではない、と言うのである。決まり切った答えであればだれにでも言える。だがあなたがたは、神の現れとは何かを、神の足跡とは何かを本当に理解しているのか。神の現れとは、神が仕事を行うためにみずから地上に来られることである。神としての身分と性質は保ったままで、また神ご自身の方法で、神は時代を始め、時代を終わらせるために人間世界に下ってこられた。このような神の現れは儀式のようなものではない。それは何かのしるしでも、絵画でも、奇跡でも、大いなる幻でもない。ましてや宗教的な儀式でもない。それは、実際に手で触って見ることのできる動かしがたい事実である。このような神の現れは何かの手順を踏むためのものでも、短期間の仕事のためのものでもない。それは、神の経営計画の中にある一つの段階を実現するためのものである。神の現れは必ず何かの意味があり、必ず神の経営計画と関係している。ここで言う現れは、神が人を導き、先導し、啓くときの現れとは全く異なる。神はご自身を現される度に、神の大いなる御業の一つの段階を実行に移されるのである。この働きは他のどの時代の働きとも異なる。それは人には想像もできないもので、人が経験したことがないものである。その働きは、新しい時代を到来させ、古い時代を完結させるもので、新しい、一歩進んだ、人類を救う働きである。さらには、人類を新しい時代に導き入れる働きである。神の現れが持つ意義はそこにある。」

「神の現れによる新時代の到来」より