神の言葉が私を覚醒させました

山東省済南市 苗暁

 

過去に、「偉大な白い玉座から逃れる操り人形であり裏切り者」と神様が言った際に、働きのこの段階を受け入れるものの神様の刑罰と裁きの苦しみを耐えようとしないため、結局後ずさりしてしまう人々に神が言及していると私はいつも思っていました。それ故、どんな理由であれ兄弟姉妹たちがこの道から退くのを見るといつでも、私の心はそうした人々に対する蔑みで一杯になりました。偉大な白い玉座から逃れ、神様の懲罰を受けるべき別の操り人形であり裏切り者もいます。それと同時に、私は神様の裁きを受け入れるうえで正しく行動しており、神様の救いを受けるのはそう遠くないと感じていました。

 

ある日、私がデポーションを行っていたとき、私は「キリストは、真理を以て裁きの働きを行う」というテキストで神様の以下の言葉を読みました。「……裁きの働きの本質は、実際に神を信じる全ての者に、神の真理、道、いのちを開く働きだからだ。これが、神がなす裁きの働きである。もしあなたがこうした真理を重視せず、避けたり、別の道を考え出そうと常に考えたりしているなら、あなたはひどい罪人だとわたしは言おう。もしあなたが神を信じていても、神の真理やその心を追求せず、あなたを神に近づける道を愛さないなら、あなたは裁きを逃れようとしている者だとわたしは言おう。あなたは、偉大な白い玉座から逃れる操り人形であり裏切り者で、神は自分の目から逃れようとする反抗者を誰ひとり容赦しない。そうした人は、更に重い懲罰を受ける。裁かれるために神の前に来たもので清められている者は、永遠に神の国に住むことになる。」これらの言葉を熟考した後、私はついに偉大な白い玉座から逃れる操り人形であり裏切り者はこの道から後ずさりする人々だけを指しているのではないということを理解しました。さらに重要なのは、神様に従いながらこれらの真理を尊重しない人々、これらの真理から外れた新しい道を探し、常にこれらの真理を忌避している人々、神樣の刑罰と裁きに従おうとしないのに、神様によって清められようとする人々を指しています。私は神樣の啓示と導きの下で、自らの行動を反省し始めました。神様は今、人を裁く言葉を表し、苦しみと精錬によって神様と矛盾するものを人から除いています。しかし、神様の刑罰と裁き、苦しみと精錬に直面して、神樣がこうした状況をすぐに変えることを願いつつ、私はいつも逃げようとしています。これは真理を避け、真理から外れた道を探しているのではないでしょうか。神樣が連れてきた人々や物事が私の個人的な考え方に合わない、あるいは私が後ろ向きな状況に陥ると、兄弟姉妹たちとの交流が私の問題を解決し、神樣への私の誤解を解消し、神様との正常な関係が復活する一助となっても、私はまだ抵抗し聞くことを拒否しています。神様が言うように、これは真理を求めておらず、私を神様にさらに近づける道を愛していないということではないでしょうか。仕事を行うおざなりな方法のために私が取り扱われ、刈り込まれるとき、私はいつも自らを説明する言い訳を探しています。これは真理を受け入れることを拒む本質ではないでしょうか。私は実生活で順応することがよくあります。それが真理であることを知っているときでさえ、私は肉を裏切り真理を実践することを拒否しています。これは裁きを受け入れるだけで浄化されることを求めていないのではないでしょうか。……私はそのことについて考え、さらにはっきりと私はそのことを理解しています。偉大な白い玉座から逃れていると神樣が言及する人々は、教会を離れる人を指すだけではありません。もっと重要なのは、それは真理を受け入れず、神樣の裁きに従おうとしない私たちの心を指しています。今になり、初めて私は恐怖や慄きを感じ始めました。私は教会を去っていませんが、私の心は常に神樣の裁きを避けようとしていました。私は正に、神様の裁きの席から逃れる操り人形であり裏切り者ではないでしょうか。しかし私は、私がやがて神樣の救いを受ける一方で、教会を離れる人々だけが神様の玉座から逃れる操り人形であり裏切り者であると信じていました。神様の言葉に対する私の理解があまりにも一方的で浅はかで、そして神様の働きについての私の認識があまりにも不足していたことを私は理解しています。今や、神様の刑罰と裁きを誠実に受け入れ、性質の変化を成しえた人々だけが神様の救いを正当に受けます。一方、私は自分の想像に生き、真理を渇望せず、自らのいのちに責任を持たず、危機感や切迫感が全くありませんでした。これを続けていれば、私は正に神様の懲罰の対象になるのではないでしょうか。

 

神様の言葉の啓示のおかげで、私は自らの考えや想像から目を覚まし、自分が神様の刑罰や裁きを受け入れようとしている者ではないことを認識しました。それはまた、私が危機に瀕していることを私に理解させました。やがて神様により清められ、完全にされるために、今後私は心をすべて神様に捧げ、神様の刑罰と裁きに従い、最大限の努力を行って真理と性質の変化を求めます。